CHHさんの体験談「自分が大人の発達障害であることを知り、投薬を受けず会社を退職して自分らしく生きる道を選択した話」
私が成人ADHD(大人の発達障害)の診断を受けたきっかけは、まさに色々なタイミングが重なった時でした。
中学生になる息子の担任が家庭訪問で息子の事をこう言ったのです。
「指示が通らないというか…。2つの事を同時にできないというか…。」
「失礼な!」と腹立たしく思ったのですが、同時に、妙に納得してしまう言葉でもありました。
息子は小学3年生のときにてんかん発作をおこし、学校ではじめて倒れました。
そこから、この病気と必死に向き合い闘ってきました。
やがて発作は治まり、落ち着いた生活ができると思っていた矢先。
この担任の言葉は私の心に突き刺さりました。
なぜなら、私も息子に対していくつも同様の事で思い当たる節があったのです。
忘れ物が多い、貧乏揺すりが激しい、手遊びがやめられない、ぼーっとして上の空。
私からの指示が分からず、何度も聞き返す。
昔、読み漁っていたてんかんの本を再度引っ張り出し、端から端まで読んでみました。
ADHDの人には脳波異常がある事が多く、てんかんを合併している人も多いという記述がありました。
「これだったのか」、そう思いました。
子どもを病院に連れていき、あっさりADHDの診断を受けた時は、妙にほっとした事を覚えています。
その頃、私は、子どものてんかん発作も落ち着き、そろそろパートの仕事でも始めようかと思い、
勤め出して半年ほど経っていた時期でした。
なかなか仕事に慣れず、というより人間関係にひどく振り回され、
ひとりで気疲れし、ストレスがたまっていました。
睡眠も思うようにとれなくなっていて、疲労感は増すばかりでつらい時期を過ごしていました。
とりあえず睡眠薬を貰おう。
そう思い、心療内科を受診しました。
事前にADHDに関するチェクリストを渡され、記入して提出しました。
私は仕事のストレスによるものだと思っていたので、
ADHDに関しては、ほぼ無関心で記入したのを覚えています。
そこで、仕事のストレス、子どもの発達障害の事によるストレスなどを医師に話していた時です。
医師は、私の話を聞き終えてこう言ったのです。
「あたなも発達障害ADHDです。ASDも合併しています。2次障害であるうつ病のなりかけです。」
確かに、私はストレス耐性、自尊心が異常に低いタイプの人間です。
仕事でも、嫌な事や理不尽な事に遭遇したら、深く傷つき、
いつまでも忘れることができず、時にその場面が脳裏にフラッシュバックしてしまう事もあります…。
忘れ物が多く、気を付けているにもかかわらず、またうっかり忘れてミスを繰り返し自己嫌悪に陥る。
仕事であれば話はできるのに、同僚との雑談となるとまったくできず、対人関係が苦しくなることがしばしば。
「だからだったのか」、子どもの診断の時と同じような安堵感を覚えました。
同時に、自分の発達障害を息子に遺伝させてしまった事で、深い罪悪感に苛まれました。
でも、私は投薬を受けませんでした。
代わりに仕事を辞めたのです。
精神的疲労は激変し、体調も少しずつ戻り、心療内科への通院の必要性もなくなりました。
私はこう考えるようにしたのです。
40歳も過ぎて分かったことを、マイナスではなくプラスに受け止めようと。
「自分でもできることって何?」
「自分が落ち着ける場所ってどんなところ?」
そんなシンプルな事を考えるきっかけを与えてもらったんだと思うようにしました。
結果、結局は自分ができる事は好きな事しかないんだなと思いました。
皆さんがどのような決断をするのかは経済的な事も関わるので、一概にこうだとは言えません。
でも、ADHDは自分をよく知り、自分が生かせる仕事を選べば、
私のように投薬せずとも生活できるという事を伝えたいと思うのです。
以上、体験談